『(三人連れ) HONらんだむうぉーく♫』-6-「次郎物語」

次郎物語

下村 湖人

1941~1954年刊


らんだむうぉーく♫-1-山田詠美「内面のノンフィクション」からの渡り歩き。

本書の登場箇所は171頁、山田氏の友人でもある作家 佐伯一麦(かずみ)氏との対談中だ。(この対談のタイトルが本のタイトルになっている)


山田氏は、元気のない‘とほほ’の男の子が電話をかけてきて(ままあるらしい)“元気になれるような、いつも読んでる本があったら教えて下さい” と言われると、いつも『次郎物語』を勧めるという。

続けて、

「元気ないと、この世では生きて行けないって思ってるみたい。だったら、作家なんてどうやって生きて行けばいいのよ。次郎くん見習ってよって。」(本文より引用)

山田氏はこの手の本はだいぶん好きなようだ。

愛読書の一つに有島武郎「生れ出づる悩み」をあげ、年に何回も読み返すといっている。


山田氏から「次郎物語」が飛び出したとき “おっ!” とちょっと驚き、ちょっと嬉しくなった。

私もかつて何回と読み、歳の上下関係なく勧めていたからだ(なぜあれほどにハマっていたのだろう、、、と不思議なくらいw)。

で、再読してみた。


結論、今読んでも面白い!5部になっているまあまあな長編であるが、先が気になって一気に読んだ。

むしろ今の方がこの物語の魅力を深く味わえたようにも思う。新鮮だった。いや~何ともいろいろな発見があった。歳をとることの醍醐味かも、得した気分♬


この物語は、下村氏の自伝的小説で「教養小説」とされている。

あまりにも有名な小説で、幾多の出版社が文庫や漫画化を手掛け、映画やTVドラマにも何度もなっている。

主人公・本田次郎の幼少~青年期を綴った(成長)物語だ。


次郎の心の在り様が飾ることなく丁寧に描写されており、次郎を “変に美化していない” ところが実にいい。

生後すぐに里子に出され、母の愛を欠いた幼少期を送るのだが、時にけな気に、時に気後れし、大体には負けん気を大いに発達させた少年期がある。

何と表現していいのかわからないモヤモヤしたもの、自分の気持ちと言動を持て余し、戸惑い、苦悶し常に “何か” と闘っている。


反抗的で、卑怯で、残虐ですらあり、物語(ストーリー)とともに、そう描き出していく作者の太いシン(心・真・芯)に引き込まれていった。

この太いシンが、山田氏の “内面のノンフィクション” という書くことへの姿勢と密に繋がっているような気がしてならない。


ここで、各出版社が出している次郎物語の表紙(次郎を描いたもの)を眺めていただこう。

その画を比べてみるとちょっと面白い。


まずは、講談社青い鳥文庫(1989年6月発売 上・下、これは第1部第2部に当たる)。

口がへの字ですね~。ほっぺも肘も膝も真っ赤ですね~。


次にポプラ社文庫(1980年1~4月発売 一~五部 現在重版なし)。

各部の特徴的なワンシーンが画かれている。

取っ組みあってますね~。三部の後ろの先生の顔、すごいですね~。四・五部は口をきゅっと結び、手もぎゅわっと結んでいますね~。どの次郎君も力入ってます。


で、今回TOPに使った偕成社文庫(1980年8~10月発売 第一~五部 現行)。 

伏し目がちですね~。ウレイですかね?静かな感じですが何かざわつきますね~。


物語は全て同じ。でも表紙に捉えている表情と表出が様々で、この物語の厚み、多層性を語っているように思う。

どこをどう読むか、感じるか、それは個々それぞれであり、そして同じ一個人の中でも時の経過の中で大に小に異なることだろう。それが、小学生から老境に至る読者の巾をつくり、読み継がれているわけなのではないだろうか。

(青空文庫にもなっています。コチラ青空文庫「次郎物語」


同じ「教養小説」と言われ、比肩されるのに山本有三氏の「路傍の石」がある。

こちらも少年の物語。極貧の家に生まれた愛川吾一のひたむきな姿に心打たれる作品だ。

表紙の表情はこんな感じ。

吾一君は次郎君ほど “揺れ” がないのかもしれないですね。

次郎君と吾一君、ふたりを出会わせたり入れ替えたりして、頭の中で語りかけてみても面白いだろう。


また、この二人を包んだり寄り添ったりする大人(素敵な人々)に注目すると、その教えるところの違いがくっきりしており、各々の物語のメッセージを感じる。この違いもまた面白い。


教養小説」と聞くと、ちょっと身構えてしまう感もあるのだが、そもそも「教養」って、、、とたどってみれば妙にコトリと納得がいった。

養老孟司氏は、教養とは “人の心がわかる心” だと言っている。(元々は養老氏が師とする母校の神父さんの言葉らしい。私にもズドーンと響き、以来私の教養定義にさせていただいている。)


なるほど、次郎の歩みとはココに到ろうとするものだったのではないだろうか。

青年期までの次郎は、自分の心(我)で人の心を “読もう(読んでやろう)” とする思い込み屋さんだ。未完の本書では、作者が育てるその先を確認することはできない。

我々読者が銘々に育てる(一緒に育つ)次郎があるのみ。

真面目であることに照れくささを感じてしまうような妙な現代、真面目に次郎を育ててみるのも悪くない。

その姿を描くのは楽しみなようでもあり、ちょっと怖いようでもある。(身震い 笑)

無節操岡村

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